「あなたの夢は何ですか?」
という質問が大嫌いなのは、
その夢が、他人に理解される、他人とシェアされる前提のものである、
と思っているから。
そもそも、人間は、他人の夢を理解できるのか。
「理解しよう」と努めることは大事だし、これは何事においても忘れてはいけない。
がしかし、こと自分のことにおいては、「自分のことを理解してくれる人なんていない」と思っているので、
別に、ぼくに夢があろうとなかろうと、それを他人に伝えるかどうかは、ぼくの勝手にさせて欲しい。
というのが、率直な意見。
それに、
人間って「普通」に生活をしていたら、
学校の友人とか
家族とか
職場の同僚や取引先とか
24時間のうち、ほとんどの時間は誰か他人と関わっていることになるわけで、
そんな中で、「自分が本当に成し遂げたいこと」なんて、考えることができるのだろうか。
ふと疑問に思ってしまうのは、ぼくだけだろうか。
「夢を持つ」ことはいいことだと思う。
それがないと、長いスパンで物事を捉えて生きていくことができないというのも、ある意味真実。
でも、果たしてその「夢」は、本当に自分の中からわき出てきたものなのか。
世の中を見渡す中で、色んなものと接触をする中で、外部から規定されて「持たされたもの」ではないだろうか。
今の身の回りには、あまりにも情報が多すぎる。
そんな世界に身を置いて、自分の心の声に耳を傾けるのは、はっきりいって至難の業だろう。
世の中の情報をある程度シャットダウンする。
自分自身と向き合う時間を作る。
そういう中で出てきた「夢」であれば、それは誰に語らずとも、自分の心の中で静かに携えていれば、いいものじゃないだろうか。
からっぽの器に、どこの誰から受け取ったのかも分からない黒い箱を詰め込むことは、よしたほうがいい。
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