2016年2月25日木曜日

無駄打ちできる強さ



「勝ち組」と「負け組」。


こういう、メディアなど(つまり、他人)が勝手に規定した定義を当てはめるのは好きではないのだが、


敢えてこれらの言葉を当てはめることで人間というものを定義できるのだとしたら、その差は「無駄打ちできるかどうか」ということに起因するのではないだろうか。



例えば、ある分野の本が欲しいとする。その分野に関する知識は素人レベルで、とてもじゃないが、どの本が自分にとっていいのかどうかは、現時点では判断ができない。


そういう時に、例えば、自由に使えるお金が手元に、5000円しかなない場合と、30000円ある場合を考えてみよう。


5000円しか使えない場合、どの本を買うか、ある程度逡巡をしないといけないし、迷ったあげく幾つか購入したとしても、それらの本が自分に適しているのかどうかは、判断しづらい。なぜなら、判断材料となる分母が小さいからだ。


これに対して、30000円が自由に使える場合だと、本屋に行って、目につく本、直感的に「これいいんじゃ?」と思った本をまとめ買いすることができる。そして、その中で当たり外れはあろうが、前者の場合と比べて、自分に合った本を見つけられる確率は高くなる。結果、専門的な知識を得られる可能性も高くなり、平たく言えば「自分のレベルアップ」ができる可能性が高くなる。




これはあくまで一例に過ぎないが、手元に使えるお金が沢山あると、「とりあえず行動してみる」ということをしやすくなる。つまり、その行動の成否はその時点では分からないが、「仮に成功しなくてもオッケー」という判断を下しやすくなる。結果的に、行動することが簡単にできるようになるし、確率論の話ではあるが、その行動から何かを得られる可能性も高くなる。


これが続くと、簡単に言えば、お金がある→自分の経験に投資
(無駄打ち含む)→学び・気づきが多くなる→それを更にお金に換えることができる→自分の経験に再投資→…というサイクルを回すことができるようになる。


すなわち、人生が加速する。



ある程度の可処分所得を確保することが大事なのは、こういう風に「無駄なこと」「自分に向いていないこと」をすぐさま見極め、時間を無駄にしにくくなることに繋がってくるのだ。



これを若いうちからできるようになると、相当人生は加速して、経験値も増えるし、結果としてお金も付いてくるようになるだろう。



敢えて世間的な表現を使うのであれば、これが「勝ち組」と「負け組」の違いであると言えるだろう。





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